2025年6月10日火曜日

核の傘や核共有が抱えるリスク

核の傘や核共有とは、自国が核兵器を保有せず、同盟国の核戦力によって抑止力を確保する体制を指す。核の傘は主に政治的・軍事的な保障関係を意味し、核共有はさらに踏み込み、同盟国の核兵器を自国内に配備し、運用訓練まで行う。いずれの場合も、核兵器の使用決定権は核保有国にあり、実際に核攻撃を受けた際に報復を行うのは自国ではなく、その核保有国となる。この構造は抑止力を補強する一方で、重大な欠点を抱えている。それは、局地的な核危機が一気に大国間の全面戦争に拡大しうる危険性である。

仮に核の傘や核共有の対象国が隣国との紛争中に核攻撃を受けた場合、報復の主体は同盟関係にある核保有国になる。攻撃を仕掛けた側からすれば、自国が直接戦っていない第三国から核報復を受けることになり、事態は即座に核保有国同士の対立へと飛び火する。こうして当初は局地的な争いに過ぎなかったものが、瞬時に大国間の核戦争へと拡大してしまう可能性がある。

さらに、この構造は抑止の信頼性にも曖昧さを生む。攻撃側は「本当に核保有国は報復するのか」と疑うかもしれず、この疑念は初撃を行う心理的ハードルを下げる。一方で、核保有国の側にも「自国が直接攻撃を受けていない状況で核報復すべきか」という深刻なジレンマが生じる。このように、核の傘や核共有は抑止力の強化を目的としていても、実際には戦争拡大の要因となる危険を内包しているのである。

ウクライナ戦争においては支援するバイデン 政権の核の傘が戦闘拡大抑止効果がなかったということを見ても明らかである。

同盟条約による自動的な参戦義務も、この危険をさらに高める。第一次世界大戦では、同盟国の連鎖参戦が局地戦を世界大戦へと変貌させたが、核兵器を伴う現代では、その拡大は通常兵器の衝突を超え、いきなり人類存続の危機に直結する。核兵器という究極の破壊力と同盟義務の強制力が組み合わさったとき、核の傘や核共有は安全保障を高めるどころか、逆に破滅への最短ルートになりかねない。

したがって、真に安定した抑止を確立するためには、他国の核戦力に依存するのではなく、自国が独自の核運用能力を持つことが望ましい。その一案として、日本がアメリカから「落下地点をNATO各国に設定できない核兵器」を購入し、自国に配備するという方法が考えられる。これにより、日本は抑止力を高めつつ、米本土や同盟国を直接巻き込むリスクを減らし、戦争拡大の危険性を最小限に抑えられる可能性がある。

ウクライナが事前にこのようなことをしておけば、ロシア、ウクライナ双方での多数の犠牲を回避することができたといえるでしょう。